『ゾンビ』/ジョージ・A・ロメロ

毒が足りなかったので続けて再生。
これはいい。すごくいい。
導入部からして、状況説明を一切せずに、既にゾンビに浸食された後の世界の描写から始まるのが、斬新で、五分で引き込まれた。
シンセを多用した音楽がかっこよすぎ。なんでこんな明るい調なんだ。
ゾンビに恐怖するありきたりのホラー映画かと思いきや、ゾンビは単なるガジェットでしかなく、むしろ「終末を迎えた人間」を描く物語。それも、直接に言明するのではなく、行間で匂わせる。そういうの好きに決まってるじゃん。
立てこもったショッピングセンター、紙幣の価値さえ消え失せて、人類最後の四人、辿り着いた牙城はユートピアか、ディストピアか? ある種セカイ系のはしり。ゾンビに取り囲まれ絶望の煙が蔓延した世界の中でも、売り場の棚から瓶詰めを明けて好き放題に食べるキャラの顔はどこか楽しげ。頭を低くしてみる(ゾンビ菌に冒される)事で、煙に巻かれたディストピアも楽園に変わるのか。
無人のデパートでやりたい放題って状況にはどうしようもなく憧憬を覚える。子供の頃はデパートに住みたかったものです。
ゾンビが弱い。あいつらは個体としては徹底的に弱く、人間を捕食するのにも悪意は一切無い。ただ数が増えすぎてしまっただけの種族である。むしろ、その愛すべきバカっぷりは笑える以外の何者でもない。ラストにDQNに蹂躙される様に至っては、ゾンビに同情さえ覚える。
やがて、終末に至っても、同種族での争いを止めようとしない人間なんか滅びてしまえと思うようになる。もはやそのアイロニカルなメッセージはホラー映画のものではない。
そんな絶妙な設定も、この映画をゾンビ映画の曙光にして既に善悪二元論を脱させてしまった。以後何を表現すればいいのかって、後はハリウッド的スペクタクルしかなくて、それは人類の退化でしかない。まるでゆるやかに衰退していく我々こそゾンビではないか。
それでもラストのラストでグロ描写が出てくると「ウホッ、いい臓物」とかつい思ってしまう自分もゾンビになりかけです。