全部映画館に観に行ったよ。感想書くのがめんどくさい作品ばっかだったのでまとまってなくても勘弁な。
涼宮ハルヒの消失
長門おおおおおおおおおおおおおおおおおおお
俺だああああああああああああああああああ
入部させてくれええええええええええええええええええ
まず、とりあえず自分は紳士の嗜みとして消失までの原作も読破しているわけですが、これは完全なる原作の映画化でした。ほぼ完璧に、原作を映画化しています。
なので、原作、および、TVアニメシリーズのファンならば確実に観る価値はあります。
ただ、完全に「シリーズのファン」向けでしかない(前提条件として、アニメや原作を知っていることが必須になっていて、一見さんむけに説明がない)ため、「劇場用アニメ作品」の歴史に名を連ねるものにはならなかったのは、個人的に残念といえば残念ですが。
で、長門な訳です。原作から長門祭りな物語だったんです、「消失」は。長門御輿が担がれて長門屋台が出ていたわけです。
その点で言えばこの映画は完璧にできています。
とにかく長門が可愛くてしょうがない。
それは恐らくスタッフも同じだったのでしょう。そして観客も同じ思いを抱いた結果、一つの同じ声が上がります。
「なぜ長門エンドにしてくれなかったんだ!」
原作がまだ続いていく物語である以上どうしようもないのですが、長門を可愛く描けば描くほど、観客に長門を好きにさせればさせるほど、長門を拒絶する物語なわけですから、私たちは殺意を抱くわけです、キョンに。
わかってるけどなー、長門ー……。
さて、ここから、「消失」の物語の解釈についての話になります。ネタバレあるので、観たくない方は次の映画まで飛ばしてね。
これは、「消失」の解釈についてメッセなどである方とお話した議題なんですが、
「消失」とはどういう物語だったのか?
転じて、
長門→キョンへの恋心はあったのか?
という問題です。
以下の趣旨は、筆者が極端な長門脳でもって解釈したということを前提に入れてお聞き下さい。
その方は長門が世界を改変したのはキョン達をこれ以上大変な世界に居させたくない、「良心」が芽生えたから世界を改変したのだという説でした。
が、僕はそこに長門→キョンへの恋心があったと考えます。(長門脳)
というより、3年前に長門に発生した「エラー」は、その淡い恋心だったのだと考えています。事前に解っていてもそのエラーを情報統合思念体に報告しなかったのは、この温かい気持ちを「エラー」なんかとして処理されたくないとのいじらしい気持ちでした。(若者をむしばむ長門脳)
もっと言うならば、自分の中ではもう、3年前の笹の葉事件以来、隣の部屋で冬眠しているキョンの身体をつついたり触ったり騎乗位オ○ニーする長門まで想像できています。(長門集中治療室すぐそこ)
そして、「消失」の物語の発端とは、そんな長門が無意識のうちに「普通の男子生徒と女子生徒として、もう一度はじめからキョンとの出会いをやり直したい」と思ったものだったと考えています。
しかし、完全に自分の意志だけで世界をねじ曲げられるほど、一途になれない可愛い長門はその最終判断をキョンに委ねます(脱出プログラムetc)。
その選択を委ねられた時点で「消失」は同時にキョンの選択と決意の物語にもなるわけですが、根幹は「長門の恋の物語」だったと。
長門からの声なき「告白」が世界改変だったと。
それなのにいとも簡単にエンターキー押しやがってあの野郎!!!!
入部届を返す時の長門がどんな気持ちでなななんあな長門おおおおおおおおお
畢竟、キョンはその長門の告白を振り切り、ハルヒを選んだ、と言うこともできます。
それだけに、屋上で変に長門に優しくしやがってあの野郎おおおおおおおおおおおお
どんな気持ちで長門が長門があああああああ
それは置きまして(キリッ)もう一つの議題。「朝倉涼子」とは何だったのか?
長門改変後の世界でも朝倉涼子が凶暴性を持っていた理由は何故でしょうか?
僕は、朝倉涼子とは、原罪のように「悪意」がセットされた存在であると考えます。
それゆえ、世界改変後でも、元の世界と共通の「悪意」は保持していた。キョン達に優しくしたり改変を知らないふりをしていたのは演技だと考えます。
つまり、世界改変前後で共通の意志を持った人物は、キョン以外にも、朝倉がいたと考えています。なので、存在を消されないためにキョンを刺した。そうでもなければ、あの場面にわざわざ現れるだけの執念はないでしょう……。修復後の世界で、階段の上に立っていた人影というのは、そんな朝倉の残滓でしょうね。
作品考察終わり。もう一度映画感想へ。
で、何がよかったって、後半のキョンの自問自答シーンが良かったんですが(自問自答する映画好きだよな! 俺!)、長門に肩入れしている人間としては、夜道で注射を打とうとする時点じゃなく、エンターキーを押す時点でもうちょっとキョンに逡巡してほしかったよね、というのが正直なところで、でもこれは原作への文句だからなあ……。
まあいいです。長門かわいいでいいんです、この映画は。
ハート・ロッカー
ああ、これも語るのめんどい……。
とりあえず面白い映画でした。そりゃアバターよりこっちのがアカデミー賞に相応しいだろう。
色々な見方があるからね! 色々な見方を許す分だけアバターと全然違うね!
えと、ネタバレ回避むずい。
わりと、僕は最初の方からこの主人公にいい印象を持っていなくて、後半でも主人公のせいで色々傷付く人がいる。主人公もそれを嫌になったりする。でも最終的に誰か傷付くとしても純粋に自分の好きなもののために行動する……。それも一つの「ヒーロー」の形だよね。ってな解釈。あと最初のテロップを読み取れば、まあ素直に中毒説で解釈するしかないような気がね。
なのでこれは全然「戦争映画」ではないと思う。いや、ある意味では戦争映画なんだけど……。
色々な見方があっていいよね! はい終わり! とりあえずバグダッドの人たちに折り鶴を送るとみんなHappyだからいいと思います!
シャーロック・ホームズ
僕はガイ・リッチーという監督の大ファンです。
高校時代、「ロック・ストック・アンド・トゥースモーキングバレルズ」と「スナッチ」の2作で完全に心を掴まれて以来、数え切れないほどこれらを観賞してきた自負があります。
そんな近頃低迷していたガイ・リッチー監督が、こんなに立派な大作を手がけて、しかもお客が一杯入っていて……! よかったねガイちゃん! それだけで涙がでちゃうぞ!
このホームズ、脚本をガイではなく他の人がやっているという事前情報があったので、「ガイリッチー臭」はないんだろうな、とあまり期待もしていなかったのですが、見た結果は、期待通り「ガイリッチー作品」ではないけれども、とりあえず満足はできる程度に「ガイリッチー監督」ではあったかな、という感じです。
素直に面白かったしこれぐらいの匂いがお客入るんだよな! うん! ならよし!
それと、「ホームズ」というキャラに大して思い入れはないから(小学生の頃全巻読破はしたけどね!)、推理じゃなくて格闘がメインでも全然大丈夫ってのもあるんですが。むしろガイリッチーの素手格闘シーンっつったらスナッチを思い出して狂喜する人ですから。ここにひっかかる人はひっかかってるみたいですね。そういう人はファミコンの「シャーロックホームズ伯爵令嬢誘拐事件」をプレイして耐性をつけるといいよ!
むしろ原作がコナン・ドイルじゃなくてトーワチキだと思ってくれたらいいよ!
そして何より言及したい。
この作品、煮えたぎるほどに腐向けだな!
はあはあそれだけでもう満足だな。
もうそれだけでいいじゃないか。そういう映画でいいじゃないか。
とにかくホームズからワトソンへの矢印がパねぇ。
あの、冒頭からそんな捨てられた子犬みたいな目しないでください!
拳銃忘れのシークエンスとかどれだけ掌の上感覚で萌えればいいんだ!
あとパンフレットを買ったのですが、そこに大槻ケンヂ氏のコメントが2ページ掲載されていて、バリツの話とか、腐女子向けの話とか、痒い所に手が届く内容だったのでよかったです。もうそっちで満足です。
とにかく、万人におすすめできるし、これがヒットすれば「リアル・ロックンローラ」が撮れる可能性もあるので嬉しいですよ! みんな観に行こう!