何かに依存するくらいなら、自殺します

という発想が自分の中に根強くあって、これが多分全ての元凶になっている。
僕は人を信じることができません。
全ての胸の内を明かせる他人なんてものがいません。
これは、周囲の皆さんに問題がある訳ではなく、僕が純粋に他者を信用できないというだけの問題なので、決して気には留めないで欲しいのですが、人を信じることができないというのも、多分心のどこかで僕が、物に依存することを拒否しているからなのではないかと思います。


でも、この生き方にも問題があって。
人って結構、何かに縋らずには生きていけないぐらいの強さしかないみたいです。
それを補っているのが、宗教、または信仰なんだと思います。別に対象が宗教団体でなくても、愛、友情、ファッション、流行、スイーツ(笑)でも構いません。
楽しさ、素晴らしさ。そういう価値観。
何かに寄り添って生きていけないというのは、辛いことです。多分僕が生きているのが苦しいのは、色んなものを楽しんだりしていても、「依存してはいけない」と自戒する意識が自分の中にあるからです。


なんでこういう人間になってしまったかってのは、裏切られたとか、愛されなかったとか、お医者が無理矢理臨床で捻り出せば様々な理由が出てくると思いますが、根源まで辿れば元はみんなちんまんぶら下げて「オギャーおっぱいくれフル勃起ハァハァ」と生まれてきただけの同じ生き物なので、よく解りません。生まれが不幸でも、後天性で獲得できたりする幸福もあると思います。
ただなんというか、哲学はあんまり情操教育に良くないような気はします。
幼少時にニーチェとかハイデッガーやっちゃうと、この俗人どもめ! 克己して超人になりやがれ! 愛とか恋とか奴隷道徳なんじゃ! とか冷めた視点で世の中を眇める癖がついてしまうので、なんか苦しいです。
宗教と違って、哲学には「救い」がないし見えないので、延々禅問答を続けた所で泥水の中に潜り続けているような苦痛しかないし、科学や数学なら「1+1=2」という確固たる定義に基づいて*1現在位置を俯瞰できるけれど、哲学は「1+1=2」っていうのさえ疑おうぜって学問だから……足の着かないプールに落ちて、寄辺も見つからずにただ藻掻いている感じがします。
多分数学者から哲学者になるケースが多いのもその辺りの核心がはっきりしてる人が多いからなのでしょう。
その先に何かを得るものがあればまだしも、今の自分程度の浅い解悟ではただ薄暗い沼で溺れている感覚です。偉い哲学者さんが居たら教えて欲しいぐらいです。苦しいなあ。


 <追記>
それでも今は田中ロミオさんのエロゲーに相変わらず感動できてるので、それってまあじっさい宗教(ロミオ儲って言われるくらいだし)と同じだけど今はそこに生きていく信仰が見つかったので良かったですねってお話です。でもこの信心にも自制がかかってしまったらどうすればいいのかはまた闇なのです。よい解決法はフルタイムで募集しています。

*1:語彙を変えました。ご指摘ありがとうございます