アーヴェと星の草

ぼくたちの世界は、地面からいくつもいくつも生えた"ネライガ"という尖塔に覆われています。
その隙間に、ぼくやアーヴェのカルヴィアン(一ゲルンに一度だけ生えてくる「カルヴァ」を食べて暮らす種族だから、だそうです)は住んでいました。カルヴィアンはぼくの知っている限りだけでも200ペレレほど居て、それらのカルヴィアンが一つのネライガにつき5ペレレぐらいの固まりを作って身を寄せ合うようにしています。
その中でも、ぼくはアーヴェと遊ぶのが一番好きでした。アーヴェは、ぼくより三つも年上で、色々なことを教えてくれます。
アーヴェはいつも川のほとりに一人でひっそりと佇んでいました。たぶんこの近くに住んでいるのでしょうが、こわくてちゃんと聞いたことはありません。
ぼくはいつも気が付かれないように、アーヴェの隣に寄り添って、その針を集めたみたいに整ったアーヴェのまつげが、川の水を吸おうと上下に動くのを見るのが好きでした。そして今日こそ気付かれないでアーヴェの横に来れたと思ったところで、いつもアーヴェがつぶやくのです。
「今日も来たね、シルザ」
ぼくはびっくりしてしまいますが、それでもアーヴェはいやな顔をせずに、ぼくをかっしと抱き留めてくれるので、ぼくはやっぱり安心してアーヴェの胸に寄り添うのです。
「……わかった?」
「わかるよ。シルザのことなら何でもわかる」
「どこからわかった?」
「あの下から二番目のゲルンの見えなくなるあたりから」
「うわあ、あんな遠くからか。まいった」
カルヴィアンなら誰でも、アーヴェのことが好きになるのではないかと思います。ぼくは草きれのような匂いに包まれて、目を閉じます。
「うん、アーヴェはぼくよりも暖かいから好きだ。それで、アーヴェ、アーヴェの胸は速いね。ダルガライラが走るみたいだ」(ダルガライラは、ぼくたちの国の乗り物で、六つの眼球にたづなをかけて乗り回すのです)
ぼくはいつものように勢い込んで饒舌に語りましたが、なぜか今日に限ってアーヴェは言葉すくなでした。それからしばらく押し黙ったあと、アーヴェはぼそりと呟きました。
「シルザ、ぼくがもし、もしだよ……」
アーヴェは何かにがいものでも飲み込むように、言葉につまりました。
「アーヴェ、だいじょぶ? ぐあいわるいの?」
頭上からめりめりと言う音がしました。
思わず空を見上げると、白い天頂がばりばりと裂けて、そこからぎょろりとした赤土色の目玉が、潰れたテントから這い出るようにぬめりぬめりと広がって来るところでした。
「あれ、なに? アーヴェ、あれはなに!?」
「……ぼくらのネライガを食べにきたんだ」
アーヴェはぼくの顔を見ずに吐き捨てました。
目玉は、いちばん直径が大きいところまで這い出ると、そこから粘液のちからか、つるりと勢いよく滑り落ちて、ネライガのうちの一つにぐしゃりと突き刺さりました。いやな卵が割れるような音がしました。
「あっ」
ネライガに突き刺さった目玉は、その潰れたところからじわじわと広がって、ネライガをまるまる飲み込んで溶かしてから蒸発してまた上に昇っていきます。でも不思議なのは、あの目玉の粘液から、何故かアーヴェの草きれと同じ匂いがすることでした。
「アーヴェ、あれはもしかして」
「そう、ぼくの目玉」
ぼくはあわててアーヴェの目を覗き込みました。アーヴェの目は、なにも映してなく、ただのからっぽでした。長い針のようなまつげが、その眼窩を隠していたのでした。
「シルザ、シルザはあれがぼくでも本当に好きかい? ぼくは、いつも一人でずっと川をながめていたんだ。君には話してなかったけど、ぼくはネライガなしだったからね。せめて川に映るネライガに住もうと思って、いつもネライガを見ていたんだ。そのうちに、ずっとネライガが小さく見えることに気が付いた。それからもっと目を凝らすと、その向こうに、ネライガを見てるぼくの姿が見えて、ネライガがぼくを見てるんじゃなくて、ぼくをあの目玉が見ていたんだ」
「アーヴェ」
泣きそうに喋るアーヴェに向かって、ぼくはにこりと笑いかけました。
「ぼく、アーヴェの草の匂い、好きだよ。だから、ぼくはアーヴェに見られたってかまわないんだ。その温度が好きだったんだもの。温度をあげる人は何かを見るものだよ」
「シルザ」
アーヴェは目を手で押さえて、ぐう、と低く痛そうにうなりました。その言葉をきっかけに、また空の切れ込みがめりめりと塞いでいく音がしました。ぼくがあっけに取られて首を伸ばしていると、
「シルザ、つぎのカルヴァの日はいつだっけ?」
今度はちゃんと収められたアーヴェの目玉が、にっこりとぼくの姿を映していました。