川端康成「片腕」

http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/novel/kawabatayasunari.html
twitterでminaeさんに江戸川乱歩の「芋虫」を薦めたら川端康成の「片腕」を薦め返された。読んだことなかったのでググる。川端さんは著作権まだ存続してるけど、なんかこれだけ電子化されてたので読んでみた。


で。
ごめんなさい。最高でした。
完全に僕の理想の小説でした。百回読む。十回模写する。五回朗読する。
うっひょおおおおおおおおおおおお(大興奮
今すぐみなさんもこんなブログ閉じてリンク飛んできなさい。短編なので結構すぐ読めるよ。


何がすげえって1963年の小説ですよ。四十年以上前ですよ。
それなのに、この「娘」を見たとき、僕は、きっと言葉では言い表せない「ときめき」みたいなものを感じたというか……。
まあ、ぶっちゃけひどく萌えたんだよね。萌えという感情が文字通り萌芽したんだよね。
川端さん、ててて天才みゃーーーーーーとか叫んで泡吹いて椅子から転がり落ちた。
正直、「雪国」と「伊豆の踊子」しか読んでなかったのに川端を語ってたことに土下座して謝りたい気分になりました。
引用しながらの詳細な感想は長くなるのでたたむ。

ほのぼのとういういしい光りの球形のように、清純で優雅な円みである。娘が純潔を失うと間もなくその円みの愛らしさも鈍ってしまう。たるんでしまう。美しい娘の人生にとっても、短いあいだの美しい円みである。

肩のこの可憐(かれん)な円みから娘のからだの可憐なすべてが感じられる。胸の円みもそう大きくなく、手のひらにはいって、はにかみながら吸いつくような固さ、やわらかさだろう。娘の肩の円みを見ていると、私には娘の歩く脚も見えた。細身の小鳥の軽やかな足のように、蝶が花から花へ移るように、娘は足を運ぶだろう。そのようにこまかな旋律は接吻(せっぷん)する舌のさきにもあるだろう。

「少女」の描写として完璧。
やっちゃん(既に川端康成がやっちゃん呼ばわりですよ)は間違いなくロリコン

娘の腕が警笛におびえてか指を握りしめたのだった。
「心配ないよ。」と私は言った。「車は遠いよ。見通しがきかないので鳴らしているだけだよ。」

これはやばい……萌え転がりそうだ……すでに声出して萌え転げてるけどね!
可愛いよ片腕可愛いよ。

「あの女はなんのあてもなく車を走らせて、ただ車を走らせるために走らせずにはいられなくて、走らせているうちに、姿が消えてなくなってしまうのじゃないかしら……。」と私はつぶやいた。

私のいつも孤独の部屋であるが、孤独ということは、なにかがいることではないのか。娘の片腕と帰った今夜は、ついぞなく私は孤独ではないが、そうすると、部屋にこもっている私の孤独が私をおびやかすのだった。

「自分……? 自分てなんだ。自分はどこにあるの?」
「自分は遠くにあるの。」と娘の片腕はなぐさめの歌のように、「遠くの自分をもとめて、人間は歩いてゆくのよ。」
「行き着けるの?」
「自分は遠くにあるのよ。」娘の腕はくりかえした。

なんて現代的な感覚。ロミオさんにも通ずる。てか全文引用したい衝動に駆られるくらい無駄がない。天才。

こういう夜には、女性の安全を見まわって歩く天使か妖精(ようせい)があるのかもしれない。あの若い女は車に乗っていたのではなくて、紫の光りに乗っていたのかもしれない。虚しいどころではない。私の秘密を見すかして行った。

「なにをお飲みになったの?」
「光りの匂(にお)いかな、肌の。」

やっちゃんロマンチストだよ……大好き……。
そしてアパアトメントとかエレベエタアとか言う表記が、現代流行りの「林檎的」な狙ったものでなく、まったく自然なものであるのが、やっぱり素晴らしすぎる。

 私の短くて幅広くて、そして厚ごわい爪に寄り添うと、娘の爪は人間の爪でないかのように、ふしぎな形の美しさである。女はこんな指の先きでも、人間であることを超克しようとしているのか。あるいは、女であることを追究しようとしているのか。うち側のあやに光る貝殻、つやのただよう花びらなどと、月並みな形容が浮んだものの、たしかに娘の爪に色と形の似た貝殻や花びらは、今私には浮んで来なくて、娘の手の指の爪は娘の手の指の爪でしかなかった。脆(もろ)く小さい貝殻や薄く小さい花びらよりも、この爪の方が透き通るように見える。そしてなによりも、悲劇の露と思える。娘は日ごと夜ごと、女の悲劇の美をみがくことに丹精をこめて来た。それが私の孤独にしみる。私の孤独が娘の爪にしたたって、悲劇の露とするのかもしれない。

はっきりいって、今の僕は爪一枚に、こんな描写ができる自信がない。天才の所行と呼ぶより他にない。勉強になりまくる。


そして絶望的な孤独。
作品の結局の帰着がそこな所に、またこの作品を愛しいと思う。
人は、死ぬ時まで孤独で、その間の幻を見たくて、人と触れ合うのだろう。
けれど、どうせ見るなら美しい幻想がいい。だから僕はこの作品を、何よりも残酷でやるせない作品を、どうしようもないまでに愛する。

「なにの幻を見せてくれたかったの?」
「いいえ。あたしは幻を消しに来ているのよ。」
「過ぎた日の幻をね、あこがれやかなしみの……。」