犯人はヤスパース(限界状況的な意味で)

おとつい、「なんで人付き合いをしなければいけないんでしょうね」って投げ掛けたのですが、
ヤスパースさんの著書を読んでたらピンポイントでお答えしてくれてる記述があった。
タイミングがすげ。
ヤスパースの「交わり」理論。
あー、これすげえ。一朝一夕ではうまく纏められそうにないのだけど。wikipediaのどこの馬の骨としれない記述を引用するなら、

<交わり>とは自己開示であり、各人が自らに閉じこもることなく他者へと向かい、それにより自己自身の存在に対する意識を反省するのである


カール・ヤスパース - Wikipedia

てか。

私が自分を孤立化しはじめるならば、交わりはいっそう貧しくなり、空虚になる。そこで私というものは発散してしまって、終には点のような空虚なものになってしまう


K.ヤスパース 『哲学』(1932)2巻「実存解明」第三章 交わり

孤独とは、可能的実存の準備意識であって、孤独を持ち合わせた二人が交わるとき、ようやく実存に至るのだ。孤立化したままの意識は空虚である。
みたいなことですね。


やったやった。納得できちゃった。それなら人付き合いしてもいい!
子曰く、これが愛の闘争。
ヤスパースさんのこと、好きになりそうだよアタイ。