伊藤計劃『ハーモニー』 - 自意識のための少女論

伊藤計劃氏のオリジナル長編第二作。
過度の医療社会を舞台にした、ディストピアユートピア小説。
その設定だけでも面白いのに、さらに意表をつく展開がハイスピードで進行していく。HTMLの知識がある人や前作『虐殺機関』の読者や黒丸尚ファンならニヤリとできる仕掛けも多数含まれている。


一貫してテーマは同じなのだが、SFマガジン収録の中編「From the Nothing,With Love.」以降、氏の作品は「自意識」について、よりラジカルな方向に舵を取るようになったように思う。
そしてついに、この小説をもって人類は一つの「答え」に辿り着いてしまった。これがまあ、究極の答えであり問いであるというか、この光景を目の当たりにしたら慄然とせずにはいられない凄い結末であった。「幸せとは何か」について本気で思い巡らせてしまう辺りの読後感は京極夏彦魍魎の匣』にも近いものがある。今回は簡易感想のためネタバレを避けておくが。


私はこの作品を、構造において田中ロミオ最果てのイマ』、主題においてチャック・パラニュークファイト・クラブ』に通ずる視点がある作品であると位置づけている。
このブログの評論傾向からしたら「またイマとパラニュークが引き合いかよ」ということにもなろうが、実際、今回に限っては本当にこの二作品以上に通ずる作品を見つけられないのだから仕方ない。そして、僕が愛して止まないこれらの作品群とテーマを共にしているこの作品も好きにならずにいれる訳がない道理である。


この作品はこの著者初の女性主人公作品となる。
というか実質的には、「少女(的意識)」が主人公であると言って差し支えないだろう。結果的にこの少女的意識が主人公(及び主要人物)に据えられたことが大きな効果をあげている。


ここでこの作品の主人公が単純に「女性」あるいは「少女」であると言わないのには理由がある。私は現実的側面から一時離れて、理想化された一つの志向を少女的意識と呼んでいる。
少女的意識は、他者の介入を拒む。
気高く、愛情は直線的で、世界(性欲を持った“男性”の象徴でもある)を憎んでいなければならない。自傷に準ずる行為や意識の発露があれば尚良い。そして儚いものでなければならない。
キーワードは「孤立」「孤高」である。
そのような存在が主人公として据えられる時、個の意識を巡る物語に初めて強い説得力が出てくるのだ。そう考えると、何故今まで意識を巡る物語に少女主人公ということがスタンダードにならなかったのか不思議なくらいである。また、少女主人公であることによって、『虐殺機関』と比べ大半の読者へと薦めやすいものにもなっている。


個人的には、この内容ならもうちょっと長い分量で読みたかった、という物足りなさもあるのだが、よく考えてみれば、我々が意識や幸せの在処について思いを巡らせること、ここまで含めてこの作品の全てになるのだと気付いた。
そういう意味で、この作品に関連して、新たなディストピア解釈、先述作品との比較等また何か時間のある時にでも思いついたら記述していきたい。
終わりのない、良著である。