無限の1グラムを遊泳する事

ついったがなんかエロいついったで、みんなおっぱいの話とかしてた。
当方そんなにおっぱいに拘りはない(あくまでその人ありき)のだが、
一応盛り上がっていたので、ちょっとした意見をつぶやいたら、どん引きされた。


世の中には、下ネタがいやらしい人間と、爽やかに放てる人間の二種類がいるようです。
思えば私の人生もいつもそうでした。
女性を含むグループで、下ネタなど操るやんちゃボーイがいると大抵、彼女らはキャッキャウフフと恥じらいながらも、多少の笑い声を伴いなごやかに会話は進むのです。
しかし、私がその流れに乗ってささやかな猥談を始めた途端に、場は水を打ったように静寂に満ち、地震か何か起きたのかと勘違いするような硬直に支配されます。その沈黙は私にすれば何の打合せもなしにスポットライト当たる数千人規模の大ホールに引き摺り出され、独演を要求されたような怯えです。


重篤なスキンシップを持ってコミュニケーションとする人間がいます。
彼らは不二家の人形の頭を抑え付けるが如く、容易に肌触りを、温もりを得ているようです。
ある飲み会で、特別でもない少女の膝に頭を横たえる男性の姿を見ました。
それを眼前に眺めながら、私はただ日本酒をぐい呑みしていました。
彼らと私では、感じている重力の重みさえ違うのではないかと感ぜられます。
彼らが柔らかな少女の膝に乗せている頭の重みを、彼らが後頭部に分散させるその1グラムを、
私は嫋やかな瞼が閉じられる時の空気の流動の中に感じようとします。
あそこで死ねたら。あそこから観る景色が僕の脳裏の中に一瞬でも焼き付くなら。


この先十年、僕に触れなくて構わないから、今だけ、その膝に頭を乗せさせてくれないか。


そんな言葉が喉元まで込み上げたのを、抑え飲み込んだ事があります。
口に出したが最後、十年に及ぶまで違和感を感じられ、畏怖される事を考えれば、忌避して正解だったのだと思いますが、どうしても残燭は残ります。


彼らは呼吸をするように「おっぱいぱい」と言います。
私は酒の席に放置された枝豆を「もったいない」と摘むのがやっとです。
彼らは水を飲むように場の空気を読みます。
私は没溺するが如くスプモーニに呑まれます。


その差異は、何処に在れど、無限に遊泳しても辿り着けぬ孤島のようです。