ネットスーサイド雑感 - id:tophelさんへ捧ぐ

カオスさんことid:tophelさんの本サイトが唐突になくなって、寂しい限りです。
過去にコメントだとかも何回もしてもらって、萌理賞とかでも腕を競った同志だと勝手に思っていたのですが、事実上、僕がカオスさんと交流を持つ手段が失われてしまったわけで、インターネットの絆なんて、幻想の糸というか、脆いものだなあと思ったわけです。
生活の比重をネットに置いていない人にとってはただ数多に漂う一サイトが閉鎖されただけでも、ネット上にしか交流がない人にとっては自殺されるにも等しい感覚なんだぜ(llasamiさんもTwitterで同じようなことをいうてた)
しかし、気持ちは良く解るというか、僕はカオスさんの文章の奥底に、自分と同じようなどこか危うい匂いを感じる事がたまにあったので、何で!? という感じはそんなにしなかったりする。


うん、僕もネットスーサイドとでも名付けるべきこの行為をしたくなる衝動に駆られることがままあります。
インターネットからの逃避。閉鎖宣言とかせずに、唐突に全ダイアリー削除! 全アカウント削除! ぽちっとな! 


僕は妄想空間に肉体よりももっと深いものを求めているのだけれど、それはやっぱり遠くて、電脳空間においてのクネクネにひどく虚無感を覚えることがたまにあって、どうしても避けられないのです。
それは、インターネットという繋がりの悲しいぐらいの表層性に起因するのかな。
明日、自分が車に撥ねられて突然死しても、それでも世界の向こう側でこの人たちは笑っていて、「最近○○さん来ないな」ぐらいの感覚でいるという煩悶。


どんなに仲良くなったって、どうせ仮初めなんだろ! だったらいらないよ!
でももっとアクセスはして! もっとアンテナ入れて! もっとブクマして!
という酷く相反するボダ的な行為。


現実には葬式やら告別式などの儀礼があって「別れ」の式をあげる機会があるのに対し、ネットダイは死んだことさえ気付かれなかったりする。あるいはネット上で10年掛けて紡いだ深い絆も、一瞬で灰燼に帰す。
それを避けるために人はオフ会に行ったり連絡先を教えたりする(と思う)のですが、そうなると現実界でも、ネット上に換算して半径6クリック以上ぐらいの仲になると自分が死んでも気付かれなかったりするわけで、それってリアルなの? 一体現実と虚構の区別って何? とかまた押井守作品みたいな難しいことになってくるのでやめます。


とりあえずtophelさんもし帰ってきたくなったらいつでも帰ってきてくださいね。いつでもまた見に行きます。