「断章のグリム」に見るリストカットの自意識

はてな巡回サイト界隈で話題になっていたラノベを購入しました。

いやー、面白かったです。
僕は素人なので、作品の批評をしばしば「好きか嫌いか」だけでしてしまいがちなのですが、それでも敢えて言うと、この作品、僕は大好きです。
というか、全編がグロで一杯なのは言うに及ばず、童話、魔術、ゴスロリメンヘルとこれだけ自分の好物が集まってれば好きに決まってるよなあ。
とくに「痛み」の描写だけではなく、情景として切り取った時に、グロテスクでありながらも何故か笑える光景というのが自分の好みなんですが、そういう意味で、中盤に出てくる葬儀場のシーンでは「カイジ」の兵藤会長の如く「ほっ……! ほっ……!」と手を叩きながら喜んでました。


では内容について少し考察。「自傷することにより能力を発現する少女」というモチーフにおいて、この作品は同じようなモチーフを持つ西尾維新の「新本格魔法少女りすか」という作品と対照して考えてみると、興味深い結果が得られると思います。

新本格魔法少女りすか (講談社ノベルズ)

新本格魔法少女りすか (講談社ノベルズ)

「りすか」では血液を流出する一つの手段としてリストカットを捉え、その痛みがさほど深刻に描写されないのに対し、「グリム」はリストカットという行為によって引き出されるトラウマが能力の重要な要素になっています。つまり、リストカットが「手段」となっているか、「目的」となっているかの違いがある訳ですね。その為に、「りすか」のりすかは積極的に手首を切り、「グリム」の時槻雪乃は、戦闘の為に本来は望まないリストカットをすることを強制されています。
いわば「積極的自傷」と、「逃避的自傷」です。
現実世界のメンタルヘルス界隈にも、大きく分ければこの二種類の自傷が混在していると思います。
メンヘラーであるということに帰属するための自傷と、他の精神的疾患から及ぼされる逃避的な自傷
両方ともメンヘルであるということに代わりはないのですが、一部の読者はこの二作品のどちらに共感するかでメンヘラーとしての自意識を測るバロメーターになるのではないでしょうか。


もちろん通常の方はどちらにも共感せずに単なる物語として読めますので、あしからず。