水と光についての反省文

昨年の終わりぐらいに出会った女性とサヨナラをした。
サヨナラをする必要がある関係ということで察してください。


自分の存在が、誰かの幸福になるという夢は叶わなかった。


何が悪かったといえば、多分、僕が全部悪い。
だから、まあ、懺悔録含む反面教師のマニュアルだと思って、記録に残しておくので、何か感じる人がいればいいですね。
重くて長い話になるかもしれないけど……。





きっかけは、サイトで見付けた、彼女の描いた絵が好きだったこと。
それと、ユニークでユーモアに溢れた、日記の記事に心酔して、惹かれてしまった。
……というか、たぶん皆さんも、素敵なブログの作者やらサイトを見たら、程度は違えど恋に似た感情を抱いたことがあるでしょう……でしょう?


以前にも書いたことがあるが、僕は人間としての自分に自信を持つことが全く出来ない。
物を創ることでしか自分のアイデンティティを定義できない、
歪んだアイデンティティを持つ人間だ。
それ故、他人の価値を、どれだけ芸術家の自分に刺激を与えてくれるか、という側面だけで測る節がある。


だから興味を持って近付いた。


先に明確な好意を示されたのは僕の方だった。それもかなり早い段階で。
僕はと言えば――戸惑っていた。
好意は持っている。だが、まだ出会ったばかりで愛や恋を語る段階ではない。
しかし、彼女の「貴方が殻に閉じこもるならその傍に寄り添っていたい」という言葉は、本当に嬉しかった。
この好意の延長上に、愛情があるかと思った。
その印象にずるずるとしがみついて、安易に人を傷付ける結果になってしまったのは全面的に僕が悪いというかそれは女性にとっての害悪なので壮大にフマキラーしてください。


ただ、一つ言わせてもらうなら、
彼女が欲しがったのは、人間の僕だったのだ。
人間としての僕に、人間としての彼女を愛することを求められた。
求められてもここには、空っぽで何もないのに。
いや、空っぽと言うよりも――
子供の頃から、
僕が繰り返してきたのは感情を鈍磨させる尽力だった。


物心ついた時から、感情が爆発して、発狂しそうになることがあった。
放っておいたら何にでも色々なことを感じすぎる人間のようであった。
されども、まっとうな社会生活を送るにおいて過ぎた感受性ってのは猫を殺せど薬にはなりはしない。
僕はその奔流がプラスに変わる『芸術方面』に開いた門戸以外は遮断し、ボルトを固く締め、水流を搾ることで
なんとかうまくやりくりしてきた。
そのうち僕は、不器用に笑い、泣き、怒り、バイアスのこちら側にうまく感情を表出させることができなくなった。
たぶん他にそうするしかなかった。
擬似的なアレキシシミア(失感情症)。
それが僕の生きる術だった。


そんな人間がどうやって人と触れ合えばいいのか。


だから、僕は芸術という門戸から彼女と向き合おうとした。
僕の愛する本を貸した。ゲームを貸した。音楽を貸した。


それが共有できれば、僕はきっと君を愛することができる。
ひとつだけ開いている、僕の入り口。それを、君にあげよう。


だが、その後、彼女は絵を描かなくなった。
本も読まなかった。
「私はあなたみたいな芸術家じゃないの」と言い、
ただの人間の僕に「私を愛して」と望んだ。


人間の僕は尋ねる。
「なんで、僕を好きになったの?」
こんな空っぽの人間を。
彼女は答えた。
「私を見てくれたから」
彼女は、人を好きになるってのは、出会った人の中から外見、趣味などの条件に当てはまった人を選別することだと語った。
最初に好きという感情があって、そこにピースを填め込むように、人を好きになると。
「みんなそんなもんじゃないの?」
僕には、そうは思えなかった。恋愛とは、まず二人の意識があって、認め合うことだと思っていたから。
「私は、私を認めてくれて、私を全肯定してくれる人が好きなの」
なんで、そこで歩みを止めてしまったのだろう。
それは確認の手段であって、目的ではないのに。
「君は私、私っていうけどさ、君の言う、『私』のアイデンティティの定義って何?」
「それは、家族、友達、恋人……誰かの中に私がいること。私を見てくれること」
ああ、気付いてしまった。
彼女のウロボロスは、僕には入り込めない種のものなのだ。
僕は、無条件に肯定することを肯定することが出来ない。
アイデンティティは自分で掴むものだと思っていて、某文学作品が如く『向上心のない人間はばかだ』と思っている。
その大黒柱を取っ払ってしまうと、自我が崩壊する。
二人の価値観は、水さえも通過していく光のように、決定的にすれ違っていた。
重なっても質量が触れ合わない、水と光。
あと、何が出来るだろう?


終わった季節を、懐古するようだった。
触れてしまった月面には、もう光が反射されなかった。
彼女は「私を見てない」と、
愛情が、一個人に向かないことを、むつかった。
僕には、その回路は組み込まれていなかった。
あってもボルトで締められていた。


彼女は言った。
「あなたの殻に寄り添うつもりだったけど、気持ちが返ってこないことが、もう苦痛になった」と。


傷付けたことはたくさんある。


理想を押し付けてしまったのか。


君の優しさになりたかった。


癒えない傷を打ち明け、存在を尊め合いたかった。


数えられるのは叶わなかった夢だからなのだろう。


だから――
いや、結論など無いし、何を失ったのかさえ僕はまだぼんやりしている。


ここにあるのは可愛そぶって腐り切った悲劇のヒロイズムと
美化し消毒されきった見せ物のフリークスと
過剰なジャーナリズムという皮を被った面白可笑しいゴシップだけだ。


皆さんどうぞ勝手に詮索したり推定したり罵倒したり毀誉褒貶したりするといい。
みんな持って行ってしまえ。
こんな感情は僕の手から離れてしまえ。


苦悩を綺麗事ぶって晒け出しやがってこの野郎って言われても、
僕に他に何も出来ることなんてないんだ。


今は、今度はまともな回路のある人が彼女の心に触れられますようにと、それだけを願うばかりで。
過ぎ去った残光が眩しく見えたりするのは、網膜がセンチメンタルな器官だからなのだろうか。