8/25 高原英理×東雅夫イノモケ対談

青山ブックセンター高原英理×東雅夫 納涼! 妖怪てんこもり対談(本店:'07年8月25日)
http://www.aoyamabc.co.jp/10/10_200708/07825.html


神野悪五郎只今退散仕る

神野悪五郎只今退散仕る

お師匠様(高原英理)の新刊刊行記念のトークイベントにいってきた。表参道の青山ぶくせんたーにて。
この小説(『神野悪五郎只今退散仕る』)のもとになった『稲生物怪録』という、江戸時代に広島県三次市でおきた怪談話があって、その物怪録をテーマにトークするイベントということで、また縁浅からぬ私もwktkして行った。


以下メモ。
・来場者は30人強といったところ。
・席につくと、イベント一週間前に公募された「イノモケ文学賞」という掌編小説の提出作(もちろん自分も一作応募した訳ですが)が三段組みでびっちりと全てプリントされた、B4の用紙8枚が置いてあった。
・まさか他の人の応募作も一覧で読めるとは思ってなかったので、粋なお土産に感動。
トークショー開始。まずは稲生物怪録の説明から。そらそうだ。
・高原さんの稲生物怪録を知ったきっかけは稲垣足穂「山ン本五郎左衛門只今退散仕る」から。この小説に胸を借りるつもりで今回の題も付けている。
平田篤胤稲生物怪録に心酔していたのだが、それは彼が異端の国学者だったことによっているのではないか。それより現代に至るまで、稲生物怪録は異端の文学者たちにとって魅力的な題材になっている。恐らく、扱われる怪異が、ただ箒が動くとか、庭石が屍体になっているとか、異端だから。
東雅夫さんの三次探訪時の写真をスライドで見ながらトーク。門外不出の木槌は、本来写真撮影さえも不可だったが、水木しげる先生が三次を探訪した際に無理矢理写真を撮って以後、少し規制が緩くなった(笑)
・今回の小説の装丁も手がけた大御所イラストレーター、宇野亜喜良の著作『ぼくはへいたろう』を見ながら解説。


・Q,「高原先生は何故今回稲生物怪録をテーマに小説を書いたのか?」 A,「以前稲生物怪録をテーマにした競作集『稲生モノノケ大全』の原稿を書いた時に、これを一冊でやりたいと思った」
・主人公は少女だが、少年でも良かった。
・執筆するにあたって、夢を見た。二人の学生が俯いていた。片方は乳首のような眼を持っていて、もう片方にはびっしりと眼がついていた。それを見た時に、「いいお化けを見た」という気持ちで、小説の糧になった。


・Q,「何故今回高原英理名義で小説を出されたのか?」 A,「『ゴシックハート』が売れたから(笑)。評論家と小説家は別のものであれという意識があったが、それが変わらないという感を持つに至った。
・(澁澤龍彦の後継と言う煽りで売り出された事について)澁澤の家系は一子相伝ではない。どんどん兄弟が増えてほしい。


・イノモケ文学賞の公開選評。観客に渡された全作品全文を参照しながら。


その後、サイン会。お師匠様にくっついて打ち上げの席で厚顔披露。正直もうちょっと居るかと思ってたら、自分含め7人しか居なかって、各社の編集者さんら初めてお会いする大人の方々に混じったワカゾウが場違いな気持ちで「アレーアレアレ?」と落ち着かない尻を切除してぶん投げたくなった。その気持ちのまま、何故か最後まで酒飲み。某社の編集さんとなぜか差し呑みして不思議な心持ち。


くそうあれだな。社会的な地位が無いということをずっと忸怩たる思いでいたのですが気にし出すときりがないので未来への布石と考えていつかお返しします。