最果てのイマ category3 第二回

オリジナル展開に入る前に力尽きた。遅筆。



chapter 『マシーン号の奪還―1』


樋口章二の愛車(愛原付車)「マシーン号」が盗難されたのは先月末のことだった。
正確には、汗水垂らして働いたバイト三ヶ月分(ロマン輝く)を注ぎ込み、章二オリジナルの代紋(エンブレム)を刻印した
特注の愛車が、納車当日、配達の運ちゃんがトラックごとドロンするという悪夢かつ無間地獄のような悲劇から一ヶ月あまり過ぎた頃のこと。
偶然章二は繁華街で疾走するマシーン号を見た。
見まごうはずもない章二デザインの代紋を付けた原付が、鼻梁を掠めて大通りをぶっ飛ばすところを。
ライダーはフルフェイスのヘルメットを被っていたため、その容(かんばせ)を確認することも出来ない。
そうなるともはや直接捕縛するよりない。
一も二もなく章二は走った。勿論全力疾走である。
映画に出てきたT-1000が如く人間力の限界で追跡してみたが、50ccの排気量を持つマシーン号は時速数十キロでどんどん遠ざかっていく。
赤信号で止まる目標に、これ幸いとばかりに奮迅してみるも、追いつくよりも先に発進してしまうのだった。
そのまま30分近くも疾駆し続けただろうか。やがてマシーン号はさらに広い国道に突き当たった。
この期を逃すと敵を捕まえるチャンスはもう無いかもしれない。
章二はとっさの判断で、南無三、とばかりに同じ方向に走るトラックの荷台に飛び込んだ。
その跳躍が、体力が完全に尽きる臨界点だった。
ガタゴトと不安定に揺れる荷台の中で、章二の意識は遠い闇の中へ落ち込んでいった――。


 * * *


目覚めると一面は闇。
暗がりの中に輪郭だけ浮かび上がるものは錆び付いた冷蔵庫と、自転車、桐箪笥などの粗大ゴミ――
章二は深い森に囲まれていた。電灯など文明を感じさせる灯りは彼方にも見当たらない。
ほう、ほう、と何処かで梟が鳴いている。
降りくるものは月灯りばかりなり、である。
章二はゴミを掻き分けると、痣だらけの身体を起こし、なんとかまともな地に立とうとした――が、
踏み抜いた足下からは、ばきばきという音がした。
章二「うわっ――!?」
バランスを崩しかけて、やっとの思いで正中を捉える。
そのままばきばきと覚束ない地面を歩くと、すぐに、目の前に高い崖が現れた。
章二「崖下――窪地、か」
明らかに、不法投棄の場所だった。打ち棄てられていた。
それからは、サバイバルの一途だった。
柔らかな木の葉を敷いた布団で眠ったが、獰猛な野獣に食料を奪われた。
風呂にも入らず泥だらけ、傷だらけの身体ではヒッチハイクをすることも困難だった。
怨んだ。天を。神も仏もありはしなかった。何度ももう駄目だと思った。
そして、三日後。
章二は帰ってきた。徒歩で。無限にも思える距離を超えて。
重力にすら抗いがたい魯鈍な身体を抱え、ほぼ無意識のうちに、真っ先に向かったのはいつもの聖域だった。
中には笛子と忍がいた。
笛子「あ、章二だ」
章二「……おまえらか」
笛子「最近、朝も夕方も顔を出さない裏切り者の章二だわ」
確かに懐かしい顔であったが、章二にとって今はそれどころではなかった。
章二は横倒しに倒れ込んだ。
章二「……ハラ……減った……」
緊張の糸が途切れた瞬間に、空腹の糸も切れたのだった。


 * * *


30分後、章二は止め処なくヴェノアの紅茶を啜り、スコーンを狂ったように貪り食っていた。
それは施餓鬼会のように、恥も外聞も関係なく。ヴェノアが命の水のように思えた。
さらにまた10分後――
腹がくちくなった章二の心は、永きに渡る修行を終えた高僧のように澄み渡っていた。
実際、我ながら人間沙汰では無かったと思う。
笛子も言ったが、よく生きて帰ってこれたものだ。
しかしオレは成し遂げた、生還したのだ――
だが、その後に忍が放った一言が章二に衝撃を与えることとなる。
忍「だが、章二」
忍は厳粛な面持ちになって――
忍「命をかけて、何も手にはない。そんなことを許していいものだろうか?」
どこまでも澄み切った、迦陵頻伽のような声だった。
忍「樋口章二ともあろうものが―――」
章二「!!」
電撃。その瞬間、その言葉に、章二の忘れかけていた灼熱の感情が沸々と甦った。
章二「確かにな……このままにはしておけねぇ。オレの金、オレの三日、オレの原付……
そいつは絶対に取り戻すべきものだからな。世界を敵に回そうとも、原チャ返せって感じだな」
もはや迷うことは何もなかった。
命を賭してでも、男には守るべきものがある。そんな男の背中を見て、人間はロマンを得るのだから――
そう決めたや否や、章二にはもう呑気に紅茶を飲んでいる暇はなかった。
章二「世話になったな」
なんとしても、マシーン号をこの手に取り戻す。
このオレの眼が黒い限り、敗北を喫したまま許す訳にはいかない――
聖域を豪猛と去っていくそんな章二の後ろ姿を見て、忍はこう呟いたのだった。


忍「……人生まるごと面白すぎる」
章二は面白いようにアジテートされていた。
(つづく)