「時をかける少女」感想(ネタばれあり)

見てきました。
最近オタク界の基礎教養みたいになってましたが、これで
ネット上の感想や考察を大手を振って読める。


ええと、筒井康隆の原作既読、大林宣彦映画未見な私ですが、
良かったです。とても。
「映画館で見ることをおすすめします」byあずまきよひこ
の言葉を信じて行って良かった。
タイムリープの描写には笑った。
カラオケボックスのシーンとか、絶対そうくるな、と解っていても
面白いんだもの。もはやドリフの領域。


まあ、二三の不満点はあるんですが。
まず、この作品で一番感情移入してたのが、消火器の彼(笑)だったので、
最後で、あの場所に戻るんだったら消火器の彼は不幸なままじゃないか!
とラストでもそこが気になって気になって(笑)


あと、細かい設定とかは、どう考えても矛盾あります。
おいおい、未来に帰る時に現代人から記憶を消さなくていいのか?
とかすごい気になったんですが。
まあ瑣末な事はどうでもいいのではないか、と思わせる魅力がこの作品には何かあるのでしょうね。


時をかける少女」がネットを中心に絶賛の嵐なのは、僕の考察では、
やはり、キャラ造詣、台詞廻しが完璧なまでに現代オタクの心理をブラッシュアップし、キュンキュンさせるものだったこと。(原作が書かれた40年前とは違い、「ループ物」という題材も現代ではオタクにとって、最も身近な題材の一つである)
そして、鬱々した青春を送っている「オタク」にとって、残酷なまでのこういう甘酸っぱさは永遠に届かぬ憧憬の対象である故なのだと思います。
その点で、「時かけ」と比較される映画として、「耳をすませば」が挙げられるのは必然の流れでしょう。

博物士 - 細田守時をかける少女』と近藤喜文耳をすませば』の相同
http://d.hatena.ne.jp/genesis/20060724/p1

Diary of Dary - 「感動して泣ける」ことを「良し」と出来ない不幸
http://d.hatena.ne.jp/temtan/20060811/1155314323

しかしそれなのに、同じように甘酸っぱさを描いた「耳をすませば」はある種のオタクにとってはしばしば自殺誘発装置となる。
では、何故「時かけ」がそうならないのか。
それは、「時かけ」は甘酸っぱい青春の中にも一応、登場人物が傷付き、悩んでいるからだと思います。
作品中で異質とも言えるほど陰惨な真琴が坂道で血だらけになるシーン、電車に撥ねられ歪む自転車のカット、千昭が告白をうやむやにされる痛さ、などによって、オタクたちは「ああ、それだけ傷付くなら、青春許すよ」と素直に甘酸っぱい青春に没入することが出来るようになるのです。たぶん。
あと、萌え力か。僕は早川友梨が一番萌えでした。真琴の事が好きなはずなのにあの子と付き合って美味しい所だけ取るターンの千昭には反発感さえ覚えました。