「ワラッテイイトモ、」を観る

http://d.hatena.ne.jp/riow89/20070307/p1
  via.http://blog.goo.ne.jp/kamimagi/e/18dd46e83eb76836af7f3e1925e26f16


2003キリンアートアワード審査員特別優秀賞(本当は大賞)に選ばれつつも、肖像権その他の理由で
「公開不可」となっていた幻の映像作品「ワラッテイイトモ、」をずっと観たかったのですがやっと観ることが出来ました。
ぐぐるびでおだが、現時点で観る手段が他に無いのだから仕方ない。


で、観て、これは感想書かなきゃと思ったので書きます。
たぶん、普通の方がネットで観るには、46分という時間は長いかもしれません。
特に、最初の「月曜日」あたりを見始めた辺りで、「なんだこれw息すげぇ入ってるし」「話題性先行w伝説の一人歩きかw」、とか思って再生を止めてしまうかもしれません。
ですが、観る気があれば止めちゃ駄目です。最後まで観たらやっぱ凄いです。


言うまでも無いですが、これは「向こう側」と「こちら側」の領域を踏み越える作品な訳で、「こちら側」の技術が端緒において明らかに稚拙である事すら作品表現の一部なのです。そして言うは容易いのですが、それを実現させた(あるいは本人の意図した以上の結果かもしれない)作者の、蒐集と編集の執念に、脱帽。
月曜日〜金曜日までの五部構成ではありますが(これにまた、『笑っていいとも』が毎日放映の番組であったという事さえ意図されていた事ではないかと異様な錯覚さえ起こさせられる)圧巻なのはやはり水曜日。
「映画だよ、これ」「で、お前が俺を編集してるの」という、編集作業でありながら、同時に自分が編集される立場である……虚実の境界線が模糊となり、やがて一つの現象に融解していく感覚? その慄然とする表現方法は山田風太郎の『八犬傳』に近いかもしれません。
そして、その際に際して、有効な手法となっている、コラージュ的切り貼りがまた(同様に、タモリオールナイトニッポンで切り貼りMADニュースのコーナーをやっていた事さえ伏線になっている。恐ろしい偶然)秀逸です。
全く唐突なシーンの挿入で別の印象を形作るというのは、ゴダールの手法にも通ずると思うんですが(や、最近ゴダール観たせいという気もしますが)それによってまた「笑っていいとも」という番組自体が、凄くグロテスクな物に思えてくるという、コラージュ前の素材への印象まで変革してしまうというのは、なかなか無いです。なんだこれ? アウフヘーベン


あと、これは個人的な感想ですが、ラストシーンは蛇足かな、というか、個人的に好きではありませんでした。
現実に辟易しているオタクが常に夢想しているのは、「現実と虚構の融合」なわけで(漫画『ルサンチマン』でもラインハルト様が代弁してくれたよ!)、あそこで作者に最後に決別されてしまう事に、僕は何か一抹の虚しさを覚えました。
書を捨てない! 町へ出ない!