『素晴らしき日々〜不連続存在〜』コンプ後感想(個人的な、あまりに個人的な)

ケロQさんの『素晴らしき日々〜不連続存在〜』をコンプしました。
色々おすすめいただいて、内容的にもやらなきゃいけない気はしていたので、張り切ってプレイしました。


そして。
コンプして数日経ったのですが、いまだに作品の熱量が凄すぎて正直消化しあぐねてる状況です。
愛憎半ばでぐちゃぐちゃになっている状態なので、もういっそ他者に向けての感想ではなく、超個人的な感想を書きます。


直接ネタバレ以下間接ネタバレ以上なので未プレイの方ご注意。


さて。切り替え完了。


最近の僕はと言えば、もっぱら企画中の同人エロゲー「クモツ・リザレクション」のシナリオをしこしこと一人で書いている。(詳細はコミケペーパー連載中の「クモツ・インフォメーション」参照)
この作品がまた我ながら自己最高傑作ぐらいの勢いでいるのだが、当初のコンセプトからして「ニーチェの思想系譜を昇華して現代の黙示録を作る」という壮大なテーマを立ててしまったがために、時折自分の手に負えない怪物と闘っているような恐怖感を感じることがある。
自分の周囲の人間が楽しげな感じで仲間と同人ゲーを作っているのを横目に、独りで絵師やその他スタッフすら決まっておらず、公開予定の目処も立たない作品を哲学書、神学書等参考資料の山を片手に「クソックソッ」と言いながら偏執的に作り込むさまは、狂気という棺桶に片足を突っ込む所行に等しい。ましてや、発狂に辿り着いたニーチェの道筋を辿ることは、発狂とのチキンレースも兼ねているわけで、毎日が冷や汗の一番搾りである。


なので、最近は哲学や宗教学、人間の実存についてのテーマを含んだ作品に接する時は、既にした顕現したライバルと接するつもりで、それをどう超克するかを考えながら受容している。
この「素晴らしき日々」とて例外ではなく、自分の内面と勝負するつもりでプレイした。
人間存在は、今、試されている。
さあ――、見せてくれ、果てしなき没落を!

  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           O 。
                 , ─ヽ
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|__|__|__|_   __((´∀`\ )< というお話だったのサ
|_|__|__|__ /ノへゝ/'''  )ヽ  \_________
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|_|_| 从.从从  | \__ ̄ ̄⊂|丿/
|__|| 从人人从. | /\__/::::::|||
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────────(~〜ヽ::::::::::::|/        = 完 = 

上記の言説は前提条件なのであまり本文に関係ありませんでした。お疲れ様でした。


シナリオ全体を俯瞰してみての感想。
まず、これは言わなくてはいけない。
ざくろの第三章正史ルートが読んでて相当キツかったです。
今まで、鬱作品に耐性があると思っていたのに、そういうレベルではなかった。
外面からの攻撃に備えていたら内臓からチェストバスターに抉られたみたいな辛さでした。
とはいうものの、自分は「暗い部屋」の時にも思ったように、金銭を払ってでも読む価値のある不快さというのを認めているので、作品に必要な苦痛が無い作品はやはりクソなのです。そういう意味では、ここまでやりきってくれて、絶望を描ききってくれて大変良かったと思います。
しかし、ここが愛憎の「憎」です。ここまでの苦痛を与えてくれた作品を、僕は人に積極的に薦めるということはしないと思います。
例えば、僕が世界で一番愛している創作物の「最果てのイマ」をその難解さから人には薦めないのと似たような感じで、結局何が言えるかと言うと、僕は「素晴らしき日々」を積極的に人には薦めないけれど、自分の中で重要な作品という場所に位置付けたということです。
この感覚が味わいたいなら、自己責任で味わってみるのもいいんじゃないでしょうか。


題材について。
まず、この題材だとすぐに僕の愛する映画や、昨年出た某エロゲを彷彿としてしまったんですが、その昇華の仕方が独自なものになっていたと思うので、素晴らしかったです。
ということから、もし自分の作品がこの先何かとネタ被りしても作品作りは頑張って続けることにしよう。と決意しました。がんばろう。


好きなルート。
好きな章で行くと、まず2章「It's my own Invention」、とくに希実香とのBAD(?)エンドが素晴らしかったです。どうやら自分は「客観的に見たらどう考えても不幸だけど当人達にとってはハッピー」というエンドが好きすぎて仕方ないようです。ほんのりと底冷えするような悪意も混じりつつ、大変好みなシナリオでありました。そういう意味で、一人称視点の強さというか。別作品ですが「ユメミルクスリ」の発展形だとも思いました。ねこ子と一緒に行けなかった所に行けたんだぜ……! それは感動してしまうよ……!
4章からの流れは、とあるキャラに「こいつ主人公力高すぎるだろ……チートか……」と若干思う所がなくもありませんでしたが、話としては一気に引き込まれたので大変面白かったです。
あと、正史と思われるエンドのどれでも、主人公が所謂「空に還った」人たちについてあまりにも顧みていないことになんだかモヤモヤしました。が、最終的に個の話に着地するならまあありかな……。気になってしまったのは事実ですが。(救世主サイドに肩入れしすぎとも言う)


音楽は「窓と光」が一番素晴らしいですね。夜の向日葵とか夏の大三角も良い曲ですが、それらのように定番系「良い曲」狙いでないのに感動的なのが大変気に入りました。ボーカル曲だと、印象的な使われ方をしている「空気力学少女と少年の詩」は当然のこと、「終末の微笑」はすげえナンバーガールっぽいリフだ! と思いつつもナンバガが好きなので好きです。


哲学的な話。
一応元文系学生ですがうろ覚えなので間違っていたらご容赦を。
全体には、ウィトゲンシュタインの思想が濃いのが顕著だと思います。
特に最後の「素晴らしき日々」エンドでの語りは、前期ウィトゲンシュタインの「独我論」という考え方で、ジグソーパズルの内か外と言うのは一応ハイデッガーの「世界内存在」と対比させつつ考えていたのかと。
独我論についてはこのページが解り易くて面白いです。
http://www.ni-club.net/panietzsche/ahorizm/index18.html
特に「終の空」がそうであると謳われた「世界の限界」については「14.独我論からの跳躍」にありますが、

『私の言語の限界が私の世界の限界を意味する。世界霊魂がただ一つ現実に存在する。これを私はとりわけ私の魂と称する。そして私が他人の魂と称するものも専らこの世界霊魂として把握するのである。』

ここの部分は「音無彩名」の存在にもまんま関わってきますね。
ただ、自分以外の存在を排除したデカルト独我論と比べると、前期ウィトゲンシュタインは「他者」の存在は認めたものの、「私」の範囲が恣意的であることに気付き、後期ウィトゲンシュタイン独我論から離れたソシュールと似たような言語ゲームの世界に深く入っていって、それがまたラカンにも繋がっていくわけですが……とか言ってると長くなるしボロが出るから哲学語りはやめた!
で、このゲームで結局最後に残るのが「幸福に生きよ!」なわけです。
色々な方面からの哲学を引用しておいて、このメッセージに集約してしまうのはずるいと言えばずるい(笑)
だってこのフレーズ、キャッチーだもん! 色々覆い隠しちゃうよ! いや、エンタメとしてはいいんだけどさ!


と、色々言葉を語り尽くして来ましたが、確かに2010年最高のシナリオだったと思います。
愛憎入り混じるほどに面白かったですよ!
何より、これだけの哲学を入れて一つの作品として纏め上げたことに嫉妬します。作品に嫉妬するというのは、創作者としての最大級の賛辞だと思うので。
自分も頑張ってアタマリバースして自分の作品を早く書きます。空へ!