なぜアニメ「咲-saki-」は成功したのか(またはGONZOに100万回のありがとう)

アニメ「咲-saki-」が最終回を迎えました。


毎週、日曜深夜のこの時間が楽しみで平日を虚ろな眼で下を向きながらもなんとか過ごし、時間になればアラームを止めテレビの前に鎮座してわくわくしながら見ていた久しぶりのアニメでした。
スタッフのみなさま、いいアニメをありがとうございました。
そんなあらゆる感謝の言葉を述べて感想を締めようと思ったら、ひどいエントリを見た。

なぜアニメ「咲-saki-」は失敗したのか?
   <略>
アニメ「咲-saki-」は優秀な原作を無駄に消化し、せっかく神アニメになり得たチャンスを逃し、「GONZO 第5スタジオ」と言う台頭していたネームバリューをも失墜させた。

見紛うことなき『失敗』である。

釣りだとしても、さすがにこれは全力でdisりたくなった。
以前同じように『なぜアニメ「とらドラ!」は失敗したのか 』というエントリでブクマが釣れたことに味をしめた誰かの犯行かもしれないが、ブクマがすでにわりと付いてしまっている以上、ファンとしてはdisっておかないとならない。ちくしょう因果だ。


逐一やって行こう。

「ここで初めて視聴者が首を傾げた。」
「これはもう原作を読んでいた古くからのファンには到底受け入れられない」
「すべての視聴者がアニメ「咲-saki-」は失敗していた事に、ようやく気付いたのである。」

なんだこれ。


まさかとは思いますが、この「すべての視聴者」とは、あなたの想像上の存在にすぎないのではないでしょうか。


精神科医風にでも諭して差し上げたい。


もしかして、2ちゃんのスレにいる民だけが「すべての視聴者」だとでも思っているのではないでしょうね?


少なくとも、原作ファンの自分を含め、Twitterで毎週実況をしているクラスタ内では、ブーイングが巻き起こった記憶など一切ないし、
むしろ、猫も杓子も信仰心を確かめる信教徒が如く
「池田ァ!」「くぎゅううう」「ワーイワーイ」
などといった経文を連呼し、毎週のようにbuzztterTwitterでの流行語を測るサービス)を陵辱していた微笑ましい思い出ばかり浮かんでくる。



「ワハハ」「特急券だー」の言い方、演出への批判なども、総じて「原作の通りに作られていない」ことへの不満としか読み取れず、それを「失敗」と言い切ってしまうのは些か乱暴な論と言わざるを得ない。


中盤にしても、あの濃さと詰め込み方で進行したがゆえに、実況は異常なまでの盛り上がりを見せたと言うこともできる。
中でも通称「池田祭り」の時は、日本三大祭りさえ脅かしかねないほどの勢いだった。


【咲-Saki- 16話】 風越の池田の負けっぷりに実況板がカオス状態!!「池田」の書き込みが30分で2000レスを突破!!:【2ch】ニュー速VIPブログ(`・ω・´)

咲-Saki- 17話実況 今週も池田が大人気 30分で16スレ消費!!:【2ch】ニュー速VIPブログ(`・ω・´)

咲-Saki- 18話実況 「池田」の書き込みが30分で3000レスを突破!過去最高の盛り上がりへ:【2ch】ニュー速VIPブログ(`・ω・´)


そして、元記事は個人戦以降の展開を全否定しているようだが、

咲は一人で迷子になり、和はそれを追いかけ叱り、タコスは試合数を勘違いし、部長は牌を叩きつけ、京太郎はパシリにされ、キャプテンは開眼し、

かおりんは「みっつずつみっつずつ」をし、むっきーは「私なりに精一杯」と言わされてしまう。

アニメオリジナルとして新しい物が何一つとしてない、実にみすぼらしい作劇である。

ここの批判に至ってはもう最悪で、
「キャラクター」と「作劇」を履き違えていやしないか。


この筆者はドラえもんが原作にないアニメオリジナル回をやったとして、
のび太はいじめられ、スネ夫は別荘を自慢し、ジャイアンは暴力を振るい、しずかは裸体を露出し、ドラえもんは腹部から道具を出し、神成さんはガラスを割られてしまう。アニメオリジナルとして新しい物が何一つない」
とでも言うのだろうか。


かおりんの「みっつずつみっつずつ」の描写でも、次にチートイ狙いの「ふたつずつふたつずつ」になり、最後には「ひとつずつひとつずつ」と牌を揃えて国士をアガるという、いわば原作を発展させたオリジナルのギャグが入っていて、アニメスタッフやるなと思わされたものだ。


また、個人戦は闘牌面において、かなりのクオリティを保っていた。
私的に、このアニメ内での最高の闘牌は原作内でなく、この個人戦内にあったと思う。
それは21話、予選最終戦、部長とキャプテンの闘いだ。


過去に対戦したことのある清澄高校の竹井(上埜)部長に憧れ続けてきた風越高校の福路キャプテン。だが部長はそれに気がついていない。
オーラス、トップ目の部長を追いかけるキャプテン。


七筒八筒九筒九筒七索八索九索四萬五萬赤六萬七萬八萬九萬ツモ八筒
部長はこのテンパイから両面ピンフを捨てわざわざ九筒切りで得意の「悪形待ち」(八筒待ち)に切り替える。
それに対しちょうどキャプテンの手牌に、部長の当たり牌が余る形となる。
二索三索四索二萬三萬四萬二筒三筒四筒四筒五筒赤六筒八筒ツモ六筒
だがキャプテンは部長のことをずっと知っていた。憧れ続けていた。
あえて悪い待ちに身を晒す彼女の姿を。
その幻影の積み重ねが、彼女に八筒を捨てさせない。
仲間たちのためにも、なんとしても「勝つ」麻雀を打たなければいけない。
その結果、二萬切り、そして三萬切り! 部長は当たり牌を止められたことに気がつく。
(並のアニメだと三萬切りの時点で「当たり牌を止めた」ことに気づきそうなものですが、このアニメは「両面搭子を捨てた」時点で当たり牌を止めたことに気がつくのも評価高いです)

「止められた……? なら……」
部長、八筒待ちをあきらめ、ツモってきた東単騎、次順に南単騎に切り替え。
しかしキャプテン、鉄の意志による順子落とし、そして六筒切りによるリーチ!


そして、部長はついに認識する。この相手と、過去に対戦したことがあると。


麻雀の「押し引き」まで含めたハイクオリティな牌譜、
卓上に交差するドラマチックな人生、
打牌を通じて成される会話。


それは一人の麻雀ファンとして、
「これこそが麻雀だ!」
スタンディングオベーションで賞賛の声を送るに惜しみないものでした。
咲-saki-」が本格麻雀アニメを掲揚する以上、ここもちゃんと評価しないとね。


次は、最終的な個人戦の順位についての批判。
なるほど、確かに批判(今日もやられやく 【GONZO】『咲-Saki-』第23話の出来レースすぎて納得がいかないスレ住人【オリジナル】)もあった。
だが、それは一部の意見でしかない。


「咲」が競技麻雀ものである以上、勝者も出れば敗者も出る。当然のことだ。
誰もが納得する結果など無いのではないか。
近代麻雀漫画生活さんや狐汁さんも同じような記事を載せています。


さて、これだけ反論すると、もはや「失敗」の定義から問う、ということになるのだが、
自分にとっては毎週かけがえのない時間をくれたアニメ「咲-saki-」は紛れもない大成功だった。
まあすげえ楽しんだ人もいるんだから自分が楽しめなかったことを「総意」にしてくれるなってことだね。
ということでアニメの総括感想記事にも換えさせていただく。


改めて、スタッフ一同のみなさま、ありがとうございました。


そして、結局あの増田もシリーズの途中からGONZOが「制作」じゃなくて「制作協力」になっていたことに全く触れずに演出がどうの叩いていたわけなんだけど、いろいろあったんだよね……お疲れ様、GONZO……
(お疲れ様じゃないし! 二期以降も作ってもらわないと困るし! ずーずーしーからあきらめないし!)


良い最終回でした〜上場廃止のGONZO株、ストップ高で有終の美を飾る

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