1984年生まれの見た世界(やや最果て編)

1984年生まれの見た世界 - はてな匿名ダイアリー
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同年代として、違う世界の視点も語っておきたくなった。


僕に湾岸戦争の記憶はない。
幼稚園の頃とかはまだケツを出していた。
小三まで野グソをしていた。
友達の作り方がわからなくて、ケツを出したりうんこをしたりすることでみんながワーキャー言ってくれるのが、友達を作る方法だと思っていた。今でもその辺のところはわかっていない。


外で遊ぶのが嫌いな子供だったので物心が付くか付かないかぐらいからファミコンに夢中になった。
アクションならドラえもんスターウォーズRPGなら桃太郎伝説STGならグラディウススターソルジャーなどをよく遊んだ。キングスナイトには文句を言いながらも割とやっていた。
うちにあったブツは、SHARPツインファミコンという代物で、カセットとディスクが両方遊べたのだがあまり有名ではない。
親もゲームをやる家庭だったので、気が付けばPCエンジンもあった。
どちらかと言うとこっちのがよく遊んだ記憶がある。カトちゃんケンちゃんやPC原人を遊びまくった。


そんな家庭だったので銀色の箱は発売日に買った記憶がある。
大好きだったのはがんばれゴエモンや新桃太郎伝説など。
中でもカービィボウルは「これでプロになれたら食っていけるな」と思えるほどやりこんでいた。メーターのドット単位での調節が自在だった。今ではできない。
マリオカートは友達がいなかったのでストイックにゴーストと日々闘っていた。スト2ではダルシムを使って変化球ばかり投げていた。


「バブル」という言葉はおぼっちゃまくんで読んで覚えた。
SHOW BY ショーバイは末期にやたらエロくなって、まだ射精も知らぬ頃から下半身の崇まりと共にこっそり囓り付いていた。いや、意味は知ってたか。女だらけの水泳大会やギルガメをこっそり録画しようと試みていたからな。


ポケモンは集めるのが面倒臭くなって結局そこまでハマらずに一生を終えた(だろう)。


つり橋わたれ。


次世代機が流行り始めた頃、うちの家庭は何かがトチ狂っていた。
何故なら、最初に買ったのが、世間での知名度金利なみに低いであろうあの機械。
そう、Panasonic3DOだった。
ドラえもんズとかやったが今思うとクソゲーで腹立ってきた。唯一ワープのゲームは好きだった。そんなわけで今でも飯野賢治は自分の中で、ビッグマウスだけでない名ゲームクリエイターである。
その後数年を経てサターン→64→プレステの順で買った……と思う。サターンはそこそこ、64はゼルダ専用機。あの頃は、SCEが一番トガっていて大好きなゲームを作るメーカーだった。


インターネットには小学生の頃から触れていたしパソコンもあった。ダイアルアップの接続音が懐かしい。
マシンはPC-98のcan-beシリーズで、中学生の頃には、自分でホームページまで作り始めて日記の公開などを始めていた。Justnetが潰れたので、たぶんその頃のデータはもう残っていないと思うがバックアップが取ってあっても見ないことにする。


グレイとかラルクも普通に聞く少年だった。洋楽は聞いていなかった。エレキギターを持ち始めて、うっかり誘惑とかHONEYとか弾いちゃってた。でもクラスの6割ぐらいはギター弾いてたのでまた「ギター弾いてる」と言えずに家で独りで弾いてた。その暗さがたたり、ついには詞と曲まで作り始めて宅録まで始める。テープがもう腐りかけてるかもしれないが聞き返す気にはならない。


地域振興券は食費でぶんどられた。
情報の授業では、何故かMS-DOSの操作法を教えられた。どんだけ時代遅れなんだよ。といいつつごめんなさい逆に今もの凄い役に立ってます。


例のライオン総理はうちの高校のOBだったが、我が校に恩恵は皆無だった。
西川貴教のオールナイトニッポンを布団の中に籠もりながら良く聞いていて、911の時もそれで西川さんが実況中継しているのを聞いていた。世界が何か偉いことになっているのは猿でもわかった。


携帯もこの頃持ち始めたが、高校時代の人間関係を語り出すとPTSDになるので割愛する。あまりいいことはなかった。


MDに洋楽を入れて聞き始めた。カートコバーンは死んでいた。
放課後はずっと独りで、放送部の暗い部室で電気を付けずに本を読んだりギターを弾いたりして遊んでいた。独りで。
一年に二、三回くらいは活動したこともあったが。


創作活動は、作詞曲だけでなく、小説、映画などにも及び始め、ぽしょぽしょ誉められたりもした。その山が人生を踏み外す分水嶺だった。この頃の作品はちょっとは残っているが、今より希望の領域がやや多い感じがするので見返すと辛くなる。


大学時代以降ぐらいのことは、流石にブログとかが残っていたりするので書かない。あえて言うなら枯れていく様が面白い。



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と、ざらっと見てもこれぐらいの違いは(元増田)とあったりする。1984年生まれの世界なんて、人それぞれあるんですよ。ただ僕の世界には少し光が当たらなかっただけです。