ブラッドハーレーの馬車/沙村広明

感服した。
天を仰いだ。
残酷美という言葉がこれほど相応しい漫画もない。


そりゃあ、グロが嫌いな人に薦めようとは全く思わないけれど、はっきり言って、2007年に出た漫画の中でベスト1です。逆に言えば、エログロ描写に耐性のある人には是非とも読んでいただきたい漫画。


希望と絶望は絶対に共生することのない感情である。
だから、そのどちらかを深く立ち描こうとすれば、反対側を徹底的に描写するしかない。
また、その弓の弦が如き振幅に、人間の感情は強く揺り動かされるのだ。
だからこそ我々は、第六話ラスト、マフラーを固く引き締める少女の須臾の幸福感に涙腺を緩まさせられ(ここで、極寒の中に見出す少女の「暖かみ」の描写も小憎らしいほど巧い。この作者の「巧さ」が、また余計に残酷である)、第三話で馬車に揺られ去る少女の天真爛漫な表情に、より陰惨さを掻き立てられる。
とくに第三話は、直接的な残酷描写が一切出てこない特異な回であり、この話だけ単独で読むと、まさしくシンデレラストーリーにも思えてくるほどである。それだけに、喚起される絶望の量は作品のページ数さえ遙かに凌駕する。


そして、その救いのないプロットを何倍にも効果的に見せる、沙村広明の筆力がやはり尋常ではない。全体を通してほぼパースに歪みのない、完璧とまで言える画力の高さは語るに及ばず、文学的なレトリック、状況を効果的に見せ、かつ斬新な構図(中でも、第四話の「取り押さえられた男」視点からの構図が素晴らしい)、全てが最高級のレベルで結実している。


近年で言えば、町田ひらくの『黄泉のマチ』という成人漫画も似たようなプロットの作品であったが、私はこちらの作品の方が遙かに好きだ。
何故なら、それがどんなに絶望的な状況でも、この漫画に流れる空気は圧倒的に美しい。筆者の嗜好は明らかにサディスティックな傾向を胎むが、必要以上に血、糞尿、悲鳴が描写されることもなく、あくまで少女は死に至るまで「少女」のままで死んで行く。
私がこの作品で最も好きなのは第二話なのであるが、この話の少女は、最も悲惨で、最も高潔な存在として感じられる。そして、
「私が……もっと綺麗だったら……ああ……もっと綺麗な魂を……もっていたら」
ここを含む独白のシーンが、作中で、最も好きな台詞である。奈落のような救済というものがあることを、私は初めて知った。
また、この話は構造的にも秀逸で、二度三度見返すことによって解釈が変わってきたりする。正直に告白すると、私はこの話を最初に読んだ時、ラストカットをただの「引き」の絵だと思ってしまった。二度目に読み返して、やっとその真の意味に気付き、そして、戦慄した。その瞬間、私の中でこの少女の魂が更に高潔なものに引き上げられたことを悟った。
希望と、絶望。どちらを追えど、届かない。少女たちの魂は、何処へ向かったのだろうか?
その答えは描かれることはない。ページの向こうで、我々が感受すれば良いことである。


ちなみに、余談。作品自体には文句はないのだが、憤慨に堪えないことがひとつ。
この作品のamazonのレビューがひどいことになっている件。

「作者の意図を疑うような、出版社の品性を疑うような本でした。 」
「次回作は女子高生でやりたいと書かれていたのを見た時点で私は左手を額に当て慟哭しました。これが・・・ あの沙村氏なのか? この人を私は尊敬していたのか・・・ 」

で、評価1をつける人が続出し、現在この作品のカスタマレビューは、☆3。この傑作が。
流石にこれは、駄目だこいつら……早くなんとかしないと……と、ライトの顔AAになるほど思った。
女子高生うんぬんは笑うところだし。


自分の感性と合わなかっただけで作品の評価を貶めるな。
いくら生理的に嫌いであろうが、例えば日本の無惨画は美術として認められているし、残酷さは直接評価に反映すべきではない。
そりゃあ、この漫画が仮に、著:やなせたかし「アンパンハーレーのばしゃ」(かつてこれほど残酷なあんパンの運命があっただろうか)とかだったら、店頭で知らずに手にとってギャップにショック受けるのもまあ解るけど、あの沙村さんだぞ……? 今さら何を……、責め絵の画集とか出すような人だぞ? いったい『無限の住人』の何を読んでたの君たち……


と、言いたくなるファンの言い分も解っていただきたい。



  〜関連リンク〜

少女たちの夢と希望は丘の向こうに…「ブラッドハーレーの馬車」
たまごまごさんのレビュー

作者は、そこにある陰惨さを「よくないよね」とは言いません。また、陰惨さを「すばらしいよね」とも言いません。ただひたすらに後味の悪い世界を淡々と描くんですよ。

そして、同時にとことん共鳴を覚えた人は、共鳴しっぱなしでワンワンと耳の中で鳴り響く音に酔うと思います。ストーリーの陰鬱さもさることながら、やはりそこに至るまでの救いのない世界にいかに浸るか、でしょうか。

少女達を待ち受ける残酷で凄惨な運命 - ブラッドハーレーの馬車
真・業魔伝書庫さん

「おひっこし」のような主に黒い方のユーモア溢れる青春漫画も描きながら、この「ブラッドハーレーの馬車」のような救いのない重苦しい作品も描く二面性が、沙村先生の魅力のひとつ。そしてどちらも面白い。